真(ほんとう)のキリスト教 #2

By Emanuel Swedenborg

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2.〈新しい天界〉と〈新しい教会〉の信仰についての一般原理エホバにましまし、永遠のむかしから主にましますお方が、この世に来られたのは、地獄を征服し、ご自身の人間性を栄化されるためでした。そうしなければ、人間はだれひとり救われません。ただし、主を信じれば、人は救われます。

(2) 一般原理といいましたが、それは信仰上の普遍原理のことです。またそれは、それぞれの細目と全体に、あまねく妥当する信仰原理のことです。

信仰上の普遍原理というと、本質・人格ともに、ただおひとりの神には、三一性 Trinitas があり、それは主・神・救い主イエス・キリストであることです。主がこの世に来られなかったら、人間はだれひとり救われないということ、主がこの世に来られたのは、人間を地獄から解放するため、つまり地獄とたたかい、それにうち勝って、人間から地獄の力をひき離すためであったということです。このようにして地獄を征服し、秩序を回復し、ご自身に服従させられました。

また、この世に来られたのは、世で身におびた人間性を栄化されるため、

つまり、その本源である神性に合体なさるためであったわけです。これによって、地獄に秩序をもたらし、ご自身の配下におき、その状態を永久に確固となさいました。このことは、ご自身の人間性が、徹底的に試されることによって、実現されました。その試練の究極は、十字架上の苦しみでした。主はそれに耐えられました。以上が、主についての信仰上の普遍原理です。

(3) 人間の側から見た信仰上の普遍原理は、主を信じるということです。主を信じることによって、主につながり、そこに救いがあります。主を信じるとは、主が救ってくださることに、信頼をよせることです。人は善良な生活をおくらないで、主に信頼をよせることはできません。だから主を信じるとは、善良な生活をすることでもあります。主もまた、ヨハネによる福音書で言っておられます、

「わたしの父のみ心は、子を見て信じる者が、ことごとく永遠のいのちを得ることである」(ヨハネ6:40)。また、

「み子を信じる者は、永遠のいのちをもつ。み子を信じない者は、いのちにあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ3:36)と。

  
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Many thanks to Arcana Press for their permission to use this translation online.